大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和33年(わ)417号 判決 1959年11月20日

被告人 小西太一郎

昭七・一二・二六生 無職

庄野輝幸

昭一〇・四・四生 工員

主文

被告人小西太一郎を死刑に処し、被告人庄野輝幸を無期懲役に処する。

押収にかかる茶色ナイロン靴下一足(証第三号)、腕巻時計バンド付一個(証第四号)、男物冬オーバー一着(証第五号)、男物紺ズボン一枚(証第六号)、紺背広上衣一着(証第七号)、テレビカバー一枚(証第八号)、緑色ナイロン靴下一足(証第九号)、茶色合オーバー一着(証第一〇号)、男物オーバー一着(証第一四号)、紺ポーラ夏背広上衣一着(証第二〇号)、男物ズボン一枚(証第二一号)は、これを被害者亡能瀬幸治の相続人能瀬三郎に、女物腕時計一個(証第一五号)、干場と刻した印鑑二個(証第一六、一九号)は、これを被害者亡干場つきみの相続人干場忠英に還付する。

理由

(被告人等の生活歴、性格及び被告人等が本件犯行を決意するまでの経緯)

被告人小西太一郎は兵庫県武庫郡鳴尾村(現在西宮市鳴尾町で、父太右衛門、母ふさ江の長男として出生し、姉四人弟一人の裕福な家庭で成長し、大倉商業高等学校に進学したが、父は尼崎市内でキヤバレーを経営中、戦災に遭つてから家運次第に衰え、同人が昭和二四年一一月病死するに及んで、同被告人は学資にも窮するようになつたため、昭和二五年一〇月頃同校第三学年を中途退学のやむなきに到り、硝子会社の工員となつて働くうち、母も昭和二六年五月死亡した。その後罐詰商の店員となつたり、自動三輪車並びに普通自動車運転の免許を得て、運送店の自動車運転手をしたり等屡々職場を変更した。それというのも、家庭で甘やかされて育つたため、虚栄心が強く、そのうえ生活環境が悪かつたことや、両親に相次いで死別したことも影響して、性行が不良化し、窃盗の嫌疑で警察署で取調を受けたこともあるし、歓楽の巷に出入し、競輪や競艇等勝負事を好み、一獲千金を夢見て勤労を厭い、怠惰な生活に耽るようになつたためであつて、挙句の果は昭和三二年四月八日大阪簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年に処せられ、三年間刑の執行猶予の判決を受けたに拘らず、改悟することなく、同年一〇月頃日本通運株式会社大阪支店に自動車運転手として雇われながら、家作や土地を持つて居り、大阪船場で繊維会社を経営している兄の手伝をしている等と詐称し、尼崎市内のスタンドで女給をしていた森田英子の歓心を買い、ついに同女と内縁関係を結んで昭和三三年一月頃同棲するようになつてからは益々生活費が嵩むようになつた。これより先昭和三二年一二月頃前記日本通運株式会社大阪支店を罷めなければならなくなり、何時までも雇運転手をしているよりは独立して貨物運送業を営もうと考え、そのための貨物自動車購入費に充てるため、亡父の遺産である西宮市鳴尾町所在の土地家屋を担保として金融を受ける決意をして、尼崎市東大島春日三二六番地土地家屋周旋業能瀬幸治から合計金三五万円を借受けたが、森田英子との豪奢な生活費と競輪、競艇等の勝者投票券購入費に浪費してしまい、昭和三三年二月頃その借受金返済のため、前記土地家屋を約五〇万円で売却することを承諾したものの、その代金と借受金との差額として受領した金員も徒食して遊興に耽る同被告人にとつては全く焼石に水に過ぎず、たちまちこれも使い果し、全く金銭に窮する状況となつていた。

被告人庄野輝幸は父重勝、母みゆきの長男として本籍地で出生したものであつて、都島工業高等学校定時制第四学年に在学中、遊興の味を覚え学業を怠つたため卒業することができなかつたので退学した者であるが、父はタクシーの運転手を、母は保険会社の外交員をして、同被告人等六人の子女を養育し、生計豊かでないため、同被告人も中学校卒業後、昼間は紙器製造工場に工員として働いていた。しかし同被告人も就職先を転々し、短気で粗暴な性格の上、悪友に誘われて素行を紊し、競輪、麻雀等に凝り、ついに昭和三〇年一一月二五日京都簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年に処せられ、四年間刑の執行猶予の判決を受けたが、その後も射倖癖が修らず、屡々勤先を休んで競輪場に出かけるようになつたが、その資金の調達に苦慮していた。

被告人両名が知合つたのは、昭和三〇年頃被告人庄野輝幸が紙箱製造業林商店に雇われていた当時のことであるが、その頃はさして懇意の間柄でもなかつたところ、その後両名が競輪場で出会うようになつてから交際が始まつたけれども、被告人庄野輝幸が被告人小西太一郎にキヤバレーやバーで奢つてもらつたことがあつたという程度で、特に親密であつたわけではなかつた。

ところが昭和三三年二月一四、五日頃被告人両名が神戸競輪場で出会つた際、被告人小西太一郎から被告人庄野輝幸に対し、被告人小西太一郎が前示能瀬幸治との金融や不動産売買の用件で屡々同家を訪れた機会に同人が相当多額の現金を持つて居り、銀行預金をもしていることと察知しているので、同家を襲つてこれを奪取しようと企図していることを打ち明けて相談を持ちかけたところ、金銭に窮していた被告人庄野輝幸はこれに加担することを承諾したので、更に計画を協議することとなつた。

(罪となるべき事実)

第一、かくて被告人小西太一郎は被告人庄野輝幸の協力を得られることとなつたので、腕力の強い同被告人と共に右能瀬幸治及びその内妻干場つきみを殺害して金品を強奪することの決意をかため、同月二一日西宮競輪場で被告人庄野輝幸と再会した帰途、被告人両名交々実行方法について協議を遂げ、ここに強盗殺人を共謀し、翌二二日午前一〇時四〇分頃尼崎市阪神電鉄出屋敷駅前の喫茶店スリーナインで待合せ、相伴つて能瀬幸治方に赴く途中、現場に指紋を遺留しないため、被告人小西太一郎において軍手を買求め、道々被告人両名互に路傍の小石を拾い、更に被告人庄野輝幸において藁繩を探して来る等、兇行の準備をし、行為の分担につき打合せをなして、同日午前一一時三〇分過頃前示能瀬幸治方表店の間に到り、同人に面会を求め、不動産担保による金融に藉口して同人の隙を窺つたが機会がなかつたため、一先ず同家を辞去し、二回にわたつて同家附近を徘徊し、更に同日夕刻同家を訪問したが、いずれも計画を実行すべき好機がなかつたため犯行を翌日に約して帰り、翌二三日も午前一一時過頃から同家附近で見張つていたところ、同日午後二時過頃訪問客が去り、隣家の家人がオートバイに乗つて外出するのを目撃し、しかも能瀬幸治夫婦が在宅せる気配に、好機逸すべからずと思惟し、附近路上において手拳大の石を拾い、これをポケツト内に隠し持つて、被告人両名相伴つて同家表店の間に到り、前日に引続いて金借の用件で来訪したものの如く装つて能瀬幸治(当六五年)に話しかけていた際、干場つきみ(当三七年)が買物のため外出したので、かねて打合せてあつたとおり、先ず被告人庄野輝幸が「煙草を貰えませんか」と申向け、それに応じた能瀬幸治の前からやにわに飛びかかつて両手で首を絞めつけ、被告人小西太一郎は所携の手拳大の石で頭部を殴打し、被告人両名協力して更に同人を奥六畳間に押し込み、被告人小西太一郎において附近にあつた石炭箱の上の手斧(証第一号)をとりあげ、被告人両名交々能瀬幸治の頭部、胸部、腹部等を数回殴打する等の暴行を加えた上、折柄帰宅した干場つきみの隙をみて、前記能瀬幸治に対すると同様、被告人庄野輝幸が前より飛びかかつて同女の首を絞め、被告人小西太一郎は救いを求める同女の口を塞ぐ等なし、共同して同女を応接室に引きずりあげ、同女を俯向けに押えつけた上、被告人庄野輝幸が着用していたマフラーを同女の首に巻きつけて後で交叉し、被告人両名においてそれぞれその両端を持つて、左右より絞め上げ、よつてその場において能瀬幸治を頭部打撃による脳震盪、干場つきみを絞頸による窒息に基き死亡するに到らしめてそれぞれ殺害の目的を遂げた上、同日以降同年三月二八日までの間に別紙一覧表記載のとおり、同人等所有の現金二七、〇〇〇円および男物腕時計(証第四号)、カバー付ナシヨナルテレビ一台(証第八号は右カバー)、男物冬オーバー一着(証第五号)、神戸銀行大島支店普通預金通帳一冊(預金残高約一一二、〇〇〇円)、東京芝浦電気株式会社株券(以下東芝と略記する)額面二五、〇〇〇円一枚(証第一七号)、日興証券株式会社大阪駅前営業所作成名義東芝千株代金預り証(金額九六、〇〇〇円)一枚(証第一八号)外雑品二一点(以上価格合計三三八、〇六三円相当)を強取し、

第二、右能瀬幸治、干場つきみ殺害の直後、被告人両名は共謀の上、犯跡隠蔽のため、同家奥六畳の間の畳及び床板をあげて、右両名の死体を床下に押し込み、その上に新聞紙をかぶせた上、床板、畳をもとの状態に復元し、もつて両死体を遺棄し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人両名の判示所為中、各強盗殺人の点は刑法第二四〇条後段第六〇条に、各死体遺棄の点は同法第一九〇条第六〇条にそれぞれ該当するところ、被告人両名の各死体遺棄は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法第五四条第一項前段第一〇条によりいずれも重いと認める能瀬幸治に対する死体遺棄罪の刑に従い、以上は同法第四五条前段の併合罪であるが、被告人両名の各強盗殺人罪のうちいずれも能瀬幸治に対する強盗殺人罪の刑により、後記犯情を考慮して、被告人小西太一郎については死刑を、被告人庄野輝幸については無期懲役刑を選択するので、同法第四六条第一項および第二項に則りいずれも他の刑を科せず、被告人小西太一郎を死刑に処し、被告人庄野輝幸を無期懲役に処する。

なお押収にかかる茶色ナイロン靴下一足(証第三号)腕巻時計バンド付一個(証第四号)男物冬オーバー一着(証第五号)男物紺ズボン一枚(証第六号)紺背広上衣一着(証第七号)テレビカバー一枚(証第八号)緑色ナイロン靴下一足(証第九号)茶色合オーバー一着(証第一〇号)男物オーバー一着(証第一四号)紺ポーラ夏背広上衣一着(証第二〇号)男物ズボン一枚(証第二一号)は被害者能瀬幸治の所有に属し、女物腕時計一個(証第一五号)干場と刻した印鑑二個(証第一六、一九号)は被害者干場つきみの所有に属していたものであつて、本件強盗殺人罪の賍物として各被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三四七条第一項により、能瀬幸治の所有に属していたものはその相続人能瀬三郎に、干場つきみの所有に属していたものはその相続人干場忠英にそれぞれ還付すべきものとする。

(被告人両名の犯情について)

被告人両名にはそれぞれ前示前科があり、ともに本件犯行当時執行猶予期間中のものであるが、被告人両名はいずれもその性格怠惰であつて、真面目に働く意欲なく、競輪等の勝負事に熱中し、殊に被告人小西太一郎は情婦と同棲しながら、無職で無為徒食していたところから、被告人両名は生活費や遊興費に窮した結果、本件犯罪を敢行したものであつて、その動機において毫末も憫諒すべきものなく、しかも本件犯行は周到な配慮のもとに行われ、場所的時間的にみても大胆であり、殺害方法も極めて残虐で、さして怨恨もない能瀬幸治のみならず、その内妻の生命をも奪つている点において、被告人両名の罪責洵に重大というべく、まさに極刑に値するものといわなければならない。もつとも被告人両名はともに年齢が若く、思慮分別未だ十分とはいえないのみならず、家庭環境も悪く、また現在前非を悔いていることが見受けられるけれども、これらの事情を斟酌しても、未だ前示罪責を左右するに足るものとは認め難い。

しかしながら、被告人両名の罪状について更に仔細について検討してみると、本件殺害の実行行為そのものについては、両者の間にその軽重の差は認められないが、被告人小西太一郎は被害者能瀬幸治から金融を受けたことから、同人が常に多額の金銭を所持していることを察知し、同人から金品を奪取することを企図し、これに被告人庄野輝幸を誘い込んだものであること、被害者両名を殺害後被害者方屋内の清掃、指紋の拭い取りも被告人小西太一郎が中心となつて行動し、犯跡隠蔽のための死体遺棄行為も同被告人が発議していること、本件強盗殺人の犯行後も同被告人は被告人庄野輝幸の不知の間に分離前の相被告人黒木繁をして被害者方に数回赴かせ、多額の金品を物色奪取せしめていること等が窺われ、右の諸点を総合すると本件犯行の首謀者は被告人小西太一郎であると断定せざるを得ない。しかも、被告人小西太一郎は被害者等を殺害後も改悟することなく、前記のとおり被害者方から金品奪取を累次敢行したが、被告人庄野輝幸は被害者の銀行預金の払戻を受けようとして失敗してからは被告人小西太一郎の右金品奪取行為に加わつていないし、(刑法上共犯の責を負わなければならないことは勿論ではあるが)又利益の分配の点においても、被告人庄野輝幸は僅か金三、〇〇〇円を得たのみであるが、被告人小西太一郎は強奪金品の大半を独占している。

以上諸般の事情を比較検討すれば、被告人両名の間には相当の犯情に差異があるものというべく、従つて被告人小西太一郎に対しては極刑たる死刑を科するのも、洵にやむを得ないが、被告人庄野輝幸に対しては無期懲役刑を選択しても、権衡を失する惧れはないと思料する。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 石丸弘衛 原政俊 小河基夫)

一覧表(略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例